②輝く父親になりたくて、銀行員を辞めてプロボクサーを目指す ~ボクシング中心の生活始まる~

前回記事「①息子に会いたい」

目次

入会したのはBBという大阪にあるアマチュアのボクシングジム。

会長は東京農業大学というアマチュアボクシング会ではトップレベルの学校を卒業していた。

もし機会があれば見ていただきたい。ボクシングの全日本大会決勝戦には必ずと言っていいほどこの学校の名前が出てくる。

誰もがそうだと思うのだが、何か新しいことを始る時はやる気満々。初日からフルスロットルで練習をする。

私がみんなと違ったのはそのやる気が1年間全くガス欠を起こさず継続したことだ。

仕事から帰ると20時を過ぎる。ジムは22時まで。急いで支度をしご飯を頬張る。子供のように家を飛び出し胃袋の食べ物が消化される暇も無く練習を始める。家にまともな食事がないときは米とチキンラーメンをお腹に流し込んだ。空腹を満たせるのであればなんでも食べた。

満腹で動くのはしんどいが空腹でも動けない。どちらかと言うと空腹の方が苦手だった。食事内容は悪かったが練習量が激しかったのでどんどん痩せていった。雨の日も凍える日もジムに行き続けた。

誰からも強制されていないが勝手に自分できつい練習を行う。「あーもうだめだ、体が動かない」と動きを止めそうになったときは、必ずと言っていいほどいるはずのない息子が目の前に現れる。数年後の少し大きくなった息子の眼差しはかっこいいお父さんを期待している。

「あともう少し、まだもう少し動ける」

 家に帰るともちろんヘロヘロになっている。すぐに眠りにつき5時間半ほどの睡眠。正直足りない。通勤の電車の中で仮眠をとるのだが、しばらく寝ていると必ず誰かが顔をめがけて殴ってくる。やばい、アッパーが飛んできた!!

殴られる直前でビクッと目が覚める。たった1時間ほどの電車の中で5,6回そんなことが起こる。

常にボクシングのことを考えていた。のちにここのジムで一緒に練習していたボクシング部の高校生と再会するのだが、「ジムでだれよりも追い込んだ練習してましたよね」と話してくれた。

周りからはどう見られていたのだろう。ちょっと変な人だったのか、それとも単に頑張っている人だったのか。

いずれにせよ練習時間がほとんど被ったことはなく、めったに一緒に練習したことがない高校生が覚えているくらいだから印象は強かったみたいだ。

ある日、いつも以上に練習で追い込んだ。その翌日、体中が筋肉痛で疲れがすごい。普通なら絶対練習を休むところであるが、時間がある日にジムを休むという選択肢はない。いつも通り支度をしジムに行き、きついメニューを自分に課す。

帰宅後すぐに眠りにつき、いつもと変わらない日常を過ごしていた。しかし起床時に体の異変を感じる。

重い、とにかく体が重い、そして体が熱い。熱を測ると38度。生まれて初めてオーバーワークを経験した。

体が心に追いつかない。心はさぼることを決して許さなかった。

そんな日々を1年近く続けるとある思いが込み上げてくる。

エクササイズとしてのボクシングではなく、実際試合に出場してみたい。このボクシングを趣味の範囲で終わらせたくない。何らかの形で息子に残したい。もちろん殴り合いは怖いし、好きではない。それでも一度してみたい。例え体が壊れても。

子を持つ親ならわかってくれるのではないか。子供がたった一言「頑張って」と言ってくれるだけで心の底から力が込み上げてくるあの感じ。

未来の無邪気な息子からの応援は心を突き動かした。

「会長、試合って出場できるんですか」

話を聞くとスパーリング大会なるものがあるらしい。それに出場してみたいと申し出たがあまりお勧めできない様子。おそらく今のままでは下手くそすぎて危険なのだろう。出場への明確な答えをもらえないまま会話が終わった。

ここのジムではフィットネス会員どうしのスパーリング練習はない。マスボクシングと言うパンチを当てないスパーリングに近い練習はあるが、これだけでは試合に向けた練習ができない。おそらく頑張ってお願いしたらスパーリングをさせてくれたのであろう。しかしレベルの差、体重差、これらのちょうどいい人がいない。どうやらここには試合出場に向けた練習ができる環境は無いようだ。

この日を境に試合出場への興味が日に日に強くなっていった。

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次回記事「③プロボクサーを目指す決心」

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