㉜かっこいい父親になりたくて、銀行員を辞めてプロボクサーを目指す ~コロナ禍とタノンサック~

初会記事「①息子に会いたい」

前回記事「㉛生活リズム」

目次

年齢制限ギリギリにしてプロのスポーツ選手になれた。

これから試合をしていくのか??

プロになったらいつでも試合できる準備をしないといけない。

ある日突然他のジムから試合の依頼が舞い込んでくるのだ、「うちの選手と試合をしませんか?」って。

その日がいつになるのか正直ビクビクしていた。何度も言うが殴り合いは好きではない。

しかしいつまで経っても試合の依頼が来ない。

この頃から世の中に不穏な空気が流れ始める。

コロナウイルスだ。

ニュースを聞いても最初は他人事だったが、ボクシングの世界にもそれはじわじわやって来た。

一番最初にコロナの影響を聞いたのは試合の中止だ。

どこかの予定されていた試合での話。計量が終わってさぁ明日は試合だってタイミングで陽性反応が出たらしい。そしてそのまま試合が流れてしまった。

ボクサーの減量は本当に辛い。極限まで体を絞ったのに中止なのはとても不憫。

その流れはどんどん広がりうちのジムにも影響を及ぼ始める。

政府が蔓延防止対策を取るたびにジムを閉めて練習ができなくなることが出てきた。

それに伴い選手たちのモチベーションが下がり始め、日本中からボクシング人口が減り始めたのだ。

そんな選手達に希望を持たせたくてうちのジムの会長はわずかなチャンスがあれば試合を組むようにしていた。

そんな中、あろうことか世界戦が決まったのだ。私がジムに来て初めての出来事だ。世界チャンピオンをかけた試合にうちの選手が出場することになったのだ。

しかもそれがコロナで世間が騒いでいるときに決まった。

その選手とは、

タノンサック!!!

前に紹介したタイの選手だ。

まさかタノンサックが世界戦をするなんて。

ボクサーは試合のダメージが蓄積しないように1年間に2、3回しか試合をしない。

2、3回しか試合をしないチャンピオンのもとにはいろんな選手からの試合依頼が来ており、どの選手と対戦するかをチャンピオンが選べる。

実力だけで世界タイトル戦に出場できるわけではない。実力があっても運が必要なのだ。そのわずかなチャンスがタノンサックに舞い込んだ。これを逃すともう世界タイトルマッチなんて二度とやってこない。

一生に一度のビッグチャンス。

しかしこの時期の試合はそう簡単ではない。

タノンサックはタイに住んでいる。

まずは日本に来ることから始めるのだがコロナ禍ではそれすら困難。渡航制限がかかっている。

更に日本に来てからも2週間の隔離生活。

狭い部屋でランニングをすることもできず、満足のいく運動ができない中で減量をする。

その隔離生活が終わるとすぐに試合をする。ものすごく条件が悪い。

もっと早めの段階で日本に来ればいいのではないかとも考えるが、ビザの関係で日本に長期滞在できない。

なのでどうしてもギリギリのスケジュールを組むしかない。

圧倒的に不利な状況だが、タノンサックはこのチャンスに挑んだ。

そして隔離が開けてから久しぶりに再会するタノンサックは別人のように強くなっていた。

パンチが強いだけではない。動きも早くなっており、スタミナも怪物のようになっている。

ボクサーならすごさがわかると思うが、練習で14ラウンドもスパーリングをするのだ。

ちなみにこの時の私は3ラウンドでへばってしまう。

このタノンサックの変わりようを見て、私たちは「もしかしたら世界取るかも知らんぞ」と少し心が浮かれた。

もちろん実力では相手が一枚上手だ。しかし、調整が上手くいかない等の小さなアクシデントが向こうに起きたらタノンサックに十分勝機はある!

それくらいの実力を身に着けていた。

ところで前にも話したが、タノンサックの家は決して裕福ではない。何なら貧困層に位置づけられる。

今日の晩御飯を仕入れいる為に川に釣りをしに行くような生活だ。

家族を助けたい一心から日本のジムと契約し今まで試合をこなしてきた。

もしこの試合で世界チャンピオンになれたら家族を助けられる、練習にも熱が入る。

 

どうやら京口選手の減量が上手くいっていないらしいぞ。そんな情報が入ってきた。

心拍数がいつもより高いみたいや。

これは減量が上手くいっていない時に現れる症状だ。

タノンサックに大きな追い風が吹き始めた。

これ行けるぞ!!!うちのジムから世界チャンピオンが生まれるぞ!!

タノンサックの夢が近い将来現実になろうとしている。

そしてついに計量の日。

無事両選手計量を通過。

 

しかし計量後、トレーナー陣が暗い顔をしている。

まだ試合もしていないのに残念な表情だ。

「試合中止や、相手の京口選手が計量後にコロナの陽性反応が出た」

この上なく最悪なタイミングだ。

減量の調整が上手くいかなかったのではなく、コロナに感染して心拍数が高かったのだ。

言葉が出なかった。

一生に一度あるかないかのチャンス。

ものすごく不利な条件を受け入れて日本に来たのに試合前日で中止。

前にどこかで聞いた話と全く一緒だ。

記者会見でタノンサックは泣き崩れた。

これは本当にかわいそうだった。

しばらくタノンサックはすべてのやる気をなくしていた。

しかもその後しばらくは渡航制限のせいでタイに帰れない。

この試合を主催していたジムはもちろん大赤字。

それを見ていた周りのジムたちも赤字になるリスクを懸念し試合をしなくなった。

この頃日本中でボクシングの試合数が激減した。

次回記事㉝記憶喪失

※毎週火曜日の夜に更新しています。

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