プロテストを合格し、また同じ日の繰り返しが始まった。
毎日同じことの繰り返しだが、世の中のプロと呼ばれるスポーツ選手たちはその中から問題点を見つけ出し、工夫し改善していく。これって結構難しい。
結局簡単に上手くなれる魔法みたいな練習法は無く、日々のルーティンをどれだけ本気で取り組めるかが実力の差になってくる。
「栄光に近道なし」
ある歌手がそんなことを言っていた。
今回はボクサーとして活動してた時にどんな生活をおくっていたかを綴ってみる。
今思い出すともうこんな生活はしたくない。それほどきつかった。
朝5時半起床、おにぎりを一つ食べ、眠気覚ましのコーヒーを飲んで朝練の集合場所へ向かう。
6時半、朝練開始。練習内容は公園でのダッシュ。選手にもよるが、ボクサーはあまり長距離を走らない。これは試合を見ているとわかるが、マラソンみたいにずっと一定のペースで動いているわけではなく、ラッシュをかけたり、少し距離を取って様子を見たり、
要は動き続ける時と休む時がある。
なので走るトレーニングでもダッシュ→インターバル→ダッシュの繰り返しが多い。
50mくらいの短いダッシュもあれば600mの長めのダッシュもある。それらを何度も繰り返す。
眠い目をこすりながら走り続け7時10分練習終了。
短い時間ではあるが、早朝から20分くらいずっとダッシュし続けるのはものすごくしんどい。
そしてこの疲労抱えながら一日を過ごす。
家に着くと身支度を済ませ、8時半にアルバイトに向かう。毎回思うが、30歳を過ぎて銀行員からアルバイト生活になるなんて夢にも思わなかった。収入が恋しい。
仕事が始まると朝練のせいで足が動かない。女の子でも持ち運び可能な荷物がダンベルのように重く感じる。
さすがに立ちっぱなしでは疲労は回復しない。座りっぱなしの仕事をしたいがそんなもの滅多にない。
たった4時間のコンビニバイトだが、最後の3時間目は足が重すぎて動かない。この時点ですでに帰りたい。
13時にバイトを終了し、スーパーに食材を調達。朝ご飯をたらふく食べたはずなのに既にものっすごい空腹。
目の前にある菓子パンを毎回全力で無視。
あれを食べることができたらどんだけ幸せだったか。毎日毎日食欲と理性の戦い。しっかりした食事であればおなかいっぱい食べてもいいが、お菓子や菓子パン、ソフトドリンクなどは絶対口にしなかった。
でもコンビニで働いていると食べ物だらけ。
「あれは食べ物に見えるが、実は全部プラスチックだ。食べ物ではない。その証拠に見てみろ!レジで並んでる人たちの表情を。みんな死人みたいな顔してるやろ。毎日プラスチック食べてたらあんな顔になるぞ」って自分に言い聞かしていた。
家に帰ると休む間もなく身支度を済ませ15時にジムに入る。
ここからはボクシングジムでの仕事だ。
全体練習が始まるまでの間に掃除やフィットネス、子供たちへのボクシング指導で給料をもらってた。
仕事とは言っても唯一この時間が休憩時間になる。この時間帯は基本的に会長がいなかったので自由気ままに業務をこなしていた。
監視する人がいないだけで体への負担が極端に減る。
それに生徒数はとても少ない。誰も来ない日も珍しくは無かった。その時は掃除を一時間以内に済ませ、会長が早めに出勤しないことを願いながら机で寝ていた。
17時半になると自主トレ開始。
およそ30分間の筋トレ。
18時頃から選手たちが集まりだし、それに合わせてみんなと同じ練習をしだす。
筋トレをしていたので全体練習が始まる18時ごろには体がヘトヘトになっていた。
20時半ごろに練習を終え、21時頃にジムを出る。
家には21時半につき、23時半から0時半あたりに眠りにつく。そしてまた5時半起床。
唯一練習が無かった日曜日は朝9時から夜21時までアルバイト。
本当に休むことができなかった。
でもボクシング生活を送るにはこうするしかなかった。
もうこれ以上頑張れないところまで毎日頑張った。
外食もせず、遊びにも行かず、修行みたいな日を送っていた。
ボクシングの知識なんて無かったから、体力だけは誰にも負けないように鍛え続けた。
体はほんとにきつかった。
でも毎日が楽しかった。
思い切って銀行員を辞めてから一気に生活が変わり、それをきっかけに少しづつ実感したことがある。
自分で選んだ道に苦しいことが待っていても、降りかかる全ての出来事に納得し、受け入れる覚悟ができている。
何ならむしろ楽しさすら感じる。
選んでもらった道は楽しくないが選んだ道は楽しい。
まだプロになったばかりの頃から、ボクシングを辞めた後は一体自分は何がしたいのかを悩んでいた。
こんなにしんどいことを毎日続けてきたのた。きっとなんでもできる。
銀行員の時は自分の気持ちに蓋をしていたが、ボクシングを始めてからは自分の気持ちに耳を澄ますようになった。
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