絶対合格する実力が付くまで受けさせないと言われていたのにちょっと無理して受けさせてもらったプロテストは人生初めてのダウンとなり、不合格がほぼ確実な状態で終了した。
残るは3人目笹山さん。
家庭の事情でボクシングを離れたが、やっぱり夢を諦めきれずプロテスト応募資格の年齢制限ギリギリのタイミングで練習を再開。
家の状況はまだ何も良くなっていないのに、仕事をしながら無理やり毎日猛練習。
数年越しの夢を掴むチャンスが目の前に訪れた。
文字通り最初で最後のチャンス。
短期間だったが猛練習の末一気に技術を向上させた。
確かに合格は厳しいかもしれない。でもそれもスパーリング相手次第。
ガードもできる。ジャブもワンツーも合格できる形に仕上げてきた。
普段の練習の形をそのままテストで表現できたら合格は不可能ではない。それにプロテスト参加者に実力が突出してる人は少ない。
大体同じようなレベルの人たちが受けに来る。もしスパーリング相手が合格ラインギリギリの実力者だったら笹山さんは普段の実力を発揮できるだろう。
相手が格闘技経験者じゃありませんように。みんなそう願った。
笹山さんがリングに上がる。その風格は堂々としている。相手も自信があるのだろう。あまり緊張していない様子だ。更に筋肉が大きく力がありそうだ。
レフェリー「ファイッ!」
ついに始まった。
相手は初めから積極的に手を出してくる。ジャブがとても力強い。構えも堂々としておりガードの位置も距離感もとてもいい。
負けじと笹山さんもジャブを出すが、しっかりガードされパンチが当たらない。むしろパンチを出すスキを与えてくれない。
的確にパンチを当てられ顎が跳ね上がる。
会長「あちゃー、これ確実に格闘技経験者やな」
始まって数秒で実力者とわかるほど他の受験生と動きが違う。この日一番対戦したくない選手がよりによって笹山さんの相手に選ばれた。
最後の最後に運から完全に見放された。
実力差が大きすぎる、やられたい放題だ。こちらから攻撃を仕掛けても軽やかにかわされカウンターを入れられてしまう。
長所である馬力も当たらなければ意味がない。ジャブを当てようと試みる度にカウンターが飛んでくる。これでは普段の実力を全く表現できない。
レフェリー「ストーーーップ」
何もできずに1ラウンド目が終了した。
皆が希望を失った。絶望的だ。
コーナーに戻ってきた笹山さんの目にはこのままではやばいと焦りが漂っている。
会長は不安を増幅させないよう落ち着いた様子でアドバイスする。
しかし、ジャブやワンツーをきれいな形で打つこと、ガードを下げないこと、頭を振って的を絞らせないこと以外の引き出しを笹山さんは持ってない。
練習の期間があまりにも短かすぎた。そして最後の最後に運が尽きてしまった。
どうにかしたい気持ちはリングの上から伝わってくる、しかし打開策が見当たらない。
偶然にも会心の一発が当たり、相手がふらついてくれればまだチャンスがあるのだろう。しかし残り1ラウンドでそんなラッキーが起こるのか。
レフェリー「ファイッ!!」
夢を掴むチャンスは残り2分30秒。
さっきのラウンドで笹山さんの実力を完全に見抜いた相手は1ラウンド目に増してリズムに乗り積極的にパンチを打ってくる。
パンチが当たらない、ガードで防ぎきれない。もがいてももがいても相手はそれを上回ってチャンスを与えない。何もできないまま時間だけが過ぎていく。
あれだけ遅くまで毎日頑張り、苦難を背負ってどれだけ精いっぱいやってきても運命が成功を許さない。
酷だ。本当に酷だ。
レフェリー「ストーーップ」
たった2ラウンド、たった2分30秒のスパーリングなのに殴られ放題になった笹山さんはボロボロになっていた。
結局最後まで何もできなかった。徹底的にやられ続けた。
リングを降りる前からすでに泣いている。
「すいません。本当にすいません。何もできませんでした」
リングを降りて会長のもとに歩み寄る。
遅くまで一緒にジムに残り笹山さんの練習に付き合っていた会長、
練習を再開した時点で本人も周りも合格なんて無謀だとわかっていたが、絶対合格させるために全力で毎日サポートしていた。
なのに教えてもらったことが何一つできなかった。
「すいません」
ボロボロになった笹山さんからはこの言葉しか出てこなかった。
このスパーリングに関しては、「不合格かも」ではなく「確実に不合格」とわかる内容だった。
プロへの挑戦はこの瞬間幕を閉じた。
どれだけ夢を叶えたくても、気持ちや努力だけではどうにもならないことがあるようだ。
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