㉔かっこいい父親になりたくて、銀行員を辞めてプロボクサーを目指す ~ついにプロテスト~

初回記事「①息子に会いたい」

前回記事「㉓プロテストまでの準備」

目次

テストを受ける前日会長から呼ばれた。

今からプロテストの説明だ。テストではいったい何が評価されるのかを教えてくれるみたいだ。

うちのジムからの受験生は3人。

以前スパーリングで私をボコボコにした年下の子と、

最近ジムに入会したが年齢制限間近で練習がほとんどできていない笹山さん、

そして私だ。

会長「テストは筆記と実技。筆記は全然難しくないねん。実技でいかに実力を出せるかが勝負や。

評価されるのは大きく3つ、ディフェンスとオフェンス、それと気持ち。

ディフェンスはしっかり手を上げてガードができてるか、頭を常に動かして相手に的を絞らせないか。これは簡単やからわかるな。

パンチが当たらんかったらいいんじゃない、ノーガードでパンチを全部避けても、ガードを全くしてなかったら不合格や。だからテストで絶対相手をなめるような態度はとるなよ。

オフェンスは注意しろ、いらんことするな。ジャブとワンツー、この二つだけが評価の対象になる。フックとかボディーは点数にならん。むしろテスト会場で用意されているグローブはフックボディーが打ちにくいから、減点されやすい。まっすぐ出すパンチだけでいいからな。

それと最後に気持ち。ええか、これが一番大事や。

テストではこの選手は試合ができるのかどうかを評価されるねん。選手に一番大事なのは『負けん気』や。

しんどいから手を緩めるとかすぐ諦めるとかパンチを怖がるとかは即不合格になるぞ。逆に不利な立場に追い込まれても根性見せたら合格することもあるからな。お前ら明日しっかり合格しろよ!」

「はいっ!!」

前日は軽く汗を流す程度の運動をし、体重を少しでも落とすために晩御飯は少なめにした。

ついに来るところまで来た。

地元のアマチュアジムでボクシングを始めたころから数えるとボクシング経験は2年と少し。

まさか30歳を超えてから10代や20代の人たちと殴り合ったり朝6:30に大阪城公園に集まって走り込みをする生活を送るなんて夢にも思わなかった。

毎日、毎日ドラゴンボールみたいな生活を続けて、ついに明日はプロテストを迎える。

翌日                              

なかなか寝付けなかったせいで若干睡眠不足。

体重を抑えるために朝食はバナナ一本だけに抑え会場に向かう。

テスト会場は大阪の難波駅近くにある井岡弘樹ジム。

到着するとジム内は受験生や関係者たちでごった返していた。入り口に靴が散乱してる。下駄箱に収まりきらない。

「君受験生?」

「はい」

「そしたら先に体重計って」

服を着た状態で体重計に乗る。意外と適当な体重の測り方。

普段なら60キロだが服の重さがあり61㎏

「じゃあこれテスト用紙とペン。解けたら提出して」

ん??自由に始めるスタイル?

この瞬間からテストが始まっているのか?

自分が思っていたテストと違う。

机があって、みんな着席してテスト開始時間まではテストを裏返しにして問題が見えないようになっている、これがテストではないのか?

A4の問題用紙を1枚もらい、自分の好きな場所で好きなタイミングで筆記テストを始める。

そして机は無い。ジムの床で問題を解く。

ジム内は大人数。テストを解くスペースを確保するのがやっと。

当然隣の受験生の答案が見える、だけでなく

「この3番の問題わかりますか?」

質問が飛んできた。

「僕は5番もわからないです」

違う人も参加してきた。

「人間の急所ってこめかみと眉間と顎とみぞおちと、あと何でしたっけ?」

みんなお互いの答案用紙を見せ合っている。

カンニングがカンニングを呼び、一気に選手全員に広まった。

特に試験を監督する人もおらずカンニングの注意も入らない。

どうやらボクシングのテストはみんなで協力しながら解いていくのが文化みたいだ。なるほど、名前さえ書ければ筆記は問題ないというのは大げさではなかったのか。

みんなと協力しながら解いた問題だったが半分くらいしか答えられなかった。これは一体なんの為にさせられているのか?無駄な時間である。

続いてスパーリング相手の発表だ。

体重の近い物どうしが整列し、この時初めて自分のスパーリングパートナーを知る。

「よろしくお願いします」

自分の相手は立った1㎏しか変わらないはずなのに身長が高い。今まで身長が高い人とスパーリングをしたことがない。

これはきっとやりにくいぞ。身長の低い人とスパーリングする為に晩御飯も朝食もあまり食べなかったのに、、、

同じような体重で身長がそんなに高くない選手は他にもいるのに何でよりによって身長が高いのだ?

しっかり食っておけばよかった。

テストまでの流れが淡々と進む。

続いてウォーミングアップ。大勢の選手たちがリングに上がり各々シャドーボクシングをする。

この時初めて周りの選手はどれくらいのレベルなのかが垣間見える。

やっぱりみんな上手い。自分も同じくらいのレベルのはずなのに何故か上手く見える。

でも中にはとんでもなく下手くそなパンチを打つ奴もいる。

こういう人がいてくれるおかげで少し安心できる。受験してくれてありがとう。

ウォーミングアップが終わるといよいよテストの大本命、スパーリングが始まる。

体重の軽いペアから順番にリングに呼ばれる。

スパーリングを控えている人たちはグローブやヘッドギアなどを装着して順番を待っているのだが、

ジム側が用意した道具を装着しなければならない。

青コーナーと赤コーナーにグローブとヘッドギアをそれぞれ3組ずつ用意しているのだが、もちろんそれは使い回しになるので、順番が後になるほど浸み込む汗の量が多くなる。

とっても気持ち悪い。

全ての選手がべっちゃりした道具を嫌そうに身に着けている。

私をボコボコにした年下の子にスパーリングの順番が回ってきた。

この選手に関しては技術面で心配はない。きっと合格するだろう。

カーン!!

ゴングが鳴る。

試合では1ラウンド3分だが、テストは2分半。これを2ラウンドだけ行う。

いつもならスパーリングが始まると会長やトレーナーからたくさんの指示が飛んでくる。

いろんな声でとても騒がしくなるのだが今日は試験。

周りは誰もしゃべってはいけない。

ステップを踏む時のキュッ、キュッという足音、パンチが当たったときの生々しい音、選手の息づかいが良く聞えてくる。

選手の名前は三田井 袋智(ミタイ タイチ)。

プロとして十分やっていける技術を備えている。

練習ではいつもこの選手とスパーリングをするのだが、ジャブをかわしながら自分のジャブを当ててくるのが本当に上手い。

今回も器用にポジションを横にずらしてパンチをかわし、的確なジャブを入れている。

少しガードが低くてパンチをもらってしまうのが難点だが、ちょっと練習すればすぐに克服するだろう。

1ラウンドが終了した時点で私も会長も合格を確信していた。

もうすぐ私の番が回ってくる。

汗でビッチャビチャのグローブとヘッドギアが渡され、装着するのに躊躇する。

気持ち悪ぅーーーーー!!!!

みんなの汗でひんやりする。

吐き気をもよおしながら装着し、リングサイドでその時を待っている。

さっきまでテストで頭がいっぱいだったのに一気にビチャビチャに意識を持っていかれてしまった。

2分半はいつもより時間が短い。でもみんなの汗をかき集めたグローブはものすごく重い。

これはきっと早くバテるな。

少し体を動かしてみる。

今日はジャブとワンツーだけ。しっかりガードを上げて頭を振って、

ジャブを打つときは体は突っ込まず、無理にパンチを当てに行かない。

こんな感じでパンチを打つ!!!

うわーグローブビッチャビチャ。

こんな感じでステップを踏んで、

ジャブが飛んで来たらこんな感じで頭を振って、

うわーヘッドギアビッチャビチャ。

プロテストは己と気持ち悪さとの闘いだ。

早くこの気持ち悪さから解放されたい。

 

 

前の選手たちのスパーリングが終わった。

ついに来た。

「では次の選手上がって」

その瞬間一気に気持ち悪さが頭から消え鼓動が大きくなる。

ついに来たか。

一度大きく深呼吸をして集中力を高める。

頭の中が静まり返る。

するとリングサイドに息子が現れた。リングに上がろうとする私をじっと見つめてる。少し大きくなった未来の息子。

いつ会えるかわからんけど、その日まで精いっぱい生きてみるわ。

自慢できるお父さんになるからな。

よしっ!!行くか!!

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